兄弟差別された毒親育ち
子供の人生を支配して、子供に悪影響を与える親のもとで育った人のことを毒親育ちといいます。
大人になっても生きづらさに苦しむ人が多いです。
私は毒親育ちでした。
兄弟差別や母に否定され続けて、心身共にボロボロになったこともあります。
人生を悲観していたときもありました。
だけど今は、少しずつ前向きになっていることを感じます。
毒親育ちだと思っていた私が、どうやって克服できたかを書いていきます。
兄弟差別と母親の価値観
母は学歴や優秀であることに人の価値があると考える人でした。
私には優秀な兄がいて、兄は母の理想通りの子供でした。
母は兄をとても可愛がっていました。
兄に比べて私の学力は平凡でした。
勉強ができることに価値があると考える母のもとで、出来が悪い私はダメな存在と感じていました。
兄弟で差別しないで育ててほしいとは、あまり思いませんでした。
出来が悪い私は、母に愛されないのは当然だと思っていたからです。
私のことも可愛がってほしいとか、私のことも愛してほしいとかを私が望むことは、許可されていないような気がしていました。
家庭の中で自分はダメな存在だと感じている子供が、どうやって生きていけばいいのか。
子供の頃から体調に色々な異変がありました。
出来が悪い子供は育てられないならば、どうして私を産んだのと思っていました。
生きる喜びを感じない私が、母にひどいことを言ったこともあります。
「私は生まれてきたくて、生まれたんじゃない」
私は泣き叫んでいました。
とにかく苦しいんです。
母親に否定されながら生きていくことが苦しくて仕方がないのです。
家庭の中で救いだったのは、兄が私を馬鹿にしなかったことです。
母が兄と比べて私を責め立てているのに、兄は私を馬鹿にしませんでした。
兄に限らず、家族で誰も私を馬鹿にはしませんでした。
結果が出せない私は母に責め立てられていたのですが、馬鹿にされていたわけではありません。
母は結果を出すことで幸せになれると思っていて、私に結果を出して幸せになってほしかったのです。
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毒親と距離を置く
母が私をコントロールすることをやめることはできません。
私はもう実家に帰るのはやめようと思いました。
もともと離れて暮らしていて、電話番号は変えて、住所はそのままです。
だから時々、手紙が届きます。
その手紙を読むのが苦しいのに、読まずに捨てることができません。
私を責めるような内容のときもあります。
手紙を読むだけで、私の精神がおかしくなりそうなときがありました。
あと二回手紙が届いたら、受け取りを拒否しようと思っていました。
だけど、手紙の内容が恨み言ばかりではないのです。
私を気遣う内容もあるのです。
その手紙を読むと、またあと二回耐えたら受け取りを拒否しようと、回数が増えるのです。
その繰り返しで、今も手紙を受け取っています。
私は正月も実家には帰れません。
兄は正月は子供を連れて実家に帰っていると思います。
可愛がっていた兄の家族だけが実家に帰って、私の実家は平和なのかというと、平和ではないんです。
父は母を責めています。
母も私が実家に帰らないことを悲しんでいます。
母が私に心から思っていること
優秀ではない私は、ずっと母に愛されていると思えませんでした。
兄弟で差別されていると私は感じていました。
だけど実際、母は私に対してどう思っていたか、優秀ではない子供(私)を心から大切にしていました。
母は本当は、子供が勉強できるかどうか、優秀であるかなんてどうでもよかったのです。
地位も名誉も持っていない子供を、心から愛していたのです。
だけど自分の理想を押し付けて、それをやめることはできません。
母にとって理想なんてどうでもいいということには気づかずに、子供をコントロールするのをやめることはできないのです。
たとえ親が変わらなくても
親が考える幸せの定義や価値観を変えることはとても難しいです。
だけど、自分が自分の価値を信じることは、自分の力でできるかもしれないと思うのです。
まず第一歩として、親に自分の気持ちを分かってもらうことをやめてみるのもいいかもしれません。
親が自分の気持ちを分かってくれなくても、自分を肯定することは可能だからです。
自分の力でできることに意識を向けて、親が分かってくれないことに執着しない方がいいと私は思います。
たとえ親が変わらなくても、親への憎しみがずっと変わらないわけではありません。
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自分を肯定するには
親に自分の苦しい気持ちを分かってほしいとか、傷つけたことを認めてほしいとか、そんな気持ちを諦めたら自分の傷がずっと癒えないわけではありません。
親は変わらない、認めない親もいる、子供に謝れない親もいる、それでも自分らしく生きるには、親に期待しすぎないことも大事です。
親に期待しない、諦めたら、希望がなくなるわけではないんです。
私が毒親育ちから立ち直ったのは、親に分かってもらおうと思うことをやめて、自分の周りにいる人の支えを実感できたからです。
自分の生い立ちを人に理解されなくてもいいと私は思っています。
誰かと楽しい時間を過ごしたとか、一緒にいたら元気が出るとか、自分の傷のことを何も知らない誰かが、自分の傷を癒していることもあります。
一人で生きていこうと思わないこと
人との関わりを大切に思うこと、人を愛すること、それは自分を肯定することにつながります。
人を軽視して、自分を肯定することはとても難しいです。
生きていくうえで、人との関わりは避けられないもので、人は一人で生きているわけではないからです。
私はずっと人間関係を築くことが苦手でした。
些細なことで傷ついては、人との関わりを簡単に諦めていました。
それがさらに生きづらさを引き寄せていました。
すぐに人に失望しないこと、自分が築き上げる人間関係を自分の手で簡単に壊さないことがことが大切だったと思うのです。
一人で苦しみを乗り越えようと思わないことが大事ですが、自分の生い立ちを他者が理解できなくてもいい、自分の傷を他者が受け入れてくれなくてもいい、それでも他者に支えられて生きていると感じるのです。
人と共に生きていく意識が、克服へとつながると思います。
親から精神的に離れて、自分が築き上げる人間関係のなかで、毒親育ちを克服できると私は思っています。
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