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『愛するということ』エーリッヒ・フロム(著) 感想

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私の好きなブロガーさまが読んだ本『愛するということ』エーリッヒ・フロム(著)、を私も読んでみました。

とても素敵な本でしたが、文章が難しいところがあり、読書が苦手な私には少し理解しづらい部分もありました。

私は本を読んでいる時、文章が難しく感じると読み飛ばす癖があって、それで余計に内容が理解できないことがあります。

今回もそんな感じで、この本を十分理解できたかどうかは分かりませんが、読んだ感想と生きづらさの克服について書いてみようと思います。

『愛するということ』感想

たいていの人は愛に関して、愛することではなく、どうすれば愛されるかが重要だと感じているかもしれません。

だけどこの本では、愛とは与えることであり、もらうことではなく、見返りを求めるものでも、自己犠牲的なものでもない、と書かれています。

純粋な愛は生産力の表現であり、そこには配慮、尊重、責任、理解(知)が含まれている。愛は誰かに影響されて生まれるものではなく、自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。
…愛とは、本質的に人間的な特質が具体化されたものとしての愛する人を、根本において肯定することである。

引用元:エーリッヒ・フロム 『愛するということ』

そして、自分自身を愛することと他人を愛することは切り離せない関係にあります。

愛されたいという願い

私は長い間、生きづらさに苦しみ、誰かに無条件に愛されたいと願っていました。
親から愛されなかった虚しさを埋めるために、他者に依存していました。

そのままの私を受け入れてほしい、愛してほしいという思いが、結果的には虚無感や孤独感をさらに強めていました。

自分を愛してほしいと望むより先に、他者を愛する方向に意識を向けていたら、生きづらさは違っていたかもしれないと今では思います。

だけどその時は必死だったんです。
親から否定されて、自分の居場所がどこにも無いように感じて、傷つきながら必死に生きていました。

どうしようもない孤独感に飲み込まれないように、他者に依存していました。
私を愛してほしいと他者に求めることで、生きていけたような気がするのです。

自分が生きているだけで精一杯で、ギリギリの精神状態で、上手に生きられないときもあります。

そんな生き方が駄目というわけではなく、だけどもし生きづらいのなら、どこかで修正していけばいいのかもしれません。

人から「愛されること」よりも、人を「愛すること」に意識が向いたとき、生きづらさが薄れてくると私は思っています。

自分を愛することと利己的の違い

私は油断すると、すぐに考え方が自己中心(利己的)になります。

自分を愛することと、利己的は、正反対にあります。

私はずっと自分が大切な存在だと思いたくて、無条件に愛されることを願っていましたが、人に求めてばかりで、それは自分を愛することとは違いました。

利己的な人は自分自身にしか関心がなく、何でも自分の物にしたがり、与えることには喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。
…他人の欲求にたいする関心も、他人の尊厳や個性にたいする尊敬の念も、もたない。利己的な人には自分しか見えない。
…利己的な人は自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。
そのように自分自身にたいする愛情と気づかいを欠いているのは、彼が生産性に欠けていることの一つのあらわれにほかならないのだが、そのおかげで、彼は虚無感と欲求不満から抜け出すことができない。

引用元:エーリッヒ・フロム 『愛するということ』

愛するとは技術である

この本では、愛するとは技術であり、その技術の習練について書いています。
愛し方が分からないと考えるよりも、愛する技術について知っていくことです。

人は、無意識のなかで、愛することを恐れているのかもしれません。
人を愛するには、勇気が必要だからです。

愛の習練に関して色々ありましたが、人を信じること、尊重すること、理解しようと思うことが大切だと私は思いました。

私は今でも生きる虚しさを感じることがあります。

努力していきたいです。
色々な恐れや不安はあるけれど、人を愛する人間になりたいです。