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アダルトチルドレン、毒親育ちを克服したブログ 一人で苦しみを乗り越えようと思うことをやめる

母を毒親だと思っていた私が、心から立ち直った方法

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毒親とは

毒親とは、子供の人生を支配し、子供に悪影響を与える親のことを指します。
毒親のもとで育った場合、大人になっても生きづらさに苦しむことがあります。

私は母のことを毒親だと思っていました。
母に否定され続けて心身共にボロボロになったこともあります。

人間関係でも上手くいかないことが多くて、私の生きづらさの主な原因は母親だと思っていました。

母が私を受け入れてくれたら、受け入れられなくてもせめて私のことを否定しないでくれたら、生きづらさを克服できると思っていました。

日々生きていく中で感じる苦しみも、悲しみも、息苦しさも、母が私を受け入れてくれたら、乗り越えていけるような気がしていました。

けれど私が何度うったえても母が変わることはありませんでした。
だから私はこの生きづらさから抜け出すことは一生ないのだろうなと思ったのです。

人を変えることはできない

母とよい関係を築きたいという思いを諦められませんでした。
うまくいかないものはしょうがないと、親子の関係を諦めることができなかったのです。

諦めたら、本当に私の居場所がなくなるような気がしました。
私が、家族の一員として生きていていいと感じたかったのです。

母にとって私は出来が悪い子供でした。
それでも母が私を受け入れてくれたら、自分を好きになれると思っていました。

そのままの自分が生きていていいんだと、母にだけは認めてもらいたかったのです。

母に私を受け入れてほしいと願い、何度も母と衝突していたときはとても苦しかったです。
だけど人を変えることはできない。(たとえ母親であったとしても。)

その人が変わりたいと思わない限り、変わることはないのだ。
私は長い時間かけて、やっと理解できたのです。

理解できたとき、親に自分の気持ちを分かってもらいたいと願うこともやめました。

自分のことで精一杯という状態がさらに生きづらくしていた

母に受け入れてもらえなかったという思いから、私は人生を悲観していました。
生きる喜びを心から感じることは、ないような気がしました。

私は自分で自分を守ることに精一杯でした。
誰にも受け入れてもらえないと感じる自分を、私一人で支えないといけないと感じていました。

傷ついた悲しみを、誰にも頼ることができずに、一人で悲しみを抱えて生きていくしかなかったのです。
自分が生きていくだけで精一杯という状態が、私をさらに生きづらくしていました。

一人で苦しみを乗り越えようと思わないこと、誰かと共に乗り越える意識を持つことが大切だったと感じます。

立ち直るには

生きづらさを克服したいと思い、自分ができることを行動していくうちに少しずつ前向きになり始めました。

どうやって前向きになれたかというと、人に(母に)自分を受け入れてほしいと必死になることをやめて、自分が人のためにできることを考えることができたときから少しずつ前向きになり始めたのです。
人と支え合って生きていくなかで喜びを感じることができたからかもしれません。

私はずっと母に受け入れてもらうことばかり考えていました。
誰にも受け入れられなくても、母に受け入れてもらえたら生きていけるような気がしていたのです。

だけど私を支えているのは母だけではなかったはずです。
自分を支えている周りの人にもっと目を向けていればよかったと思うのです。

人と共に生きていくなかで自分の居場所があると感じたとき、ありのままの自分でいいんだと感じると思います。

母に否定されたと思っていた私が、母が私を受け入れることで立ち直れたのではなく、母に受け入れてほしいと望むことをやめて、人と支え合って生きるために行動していくなかで立ち直ることができたと思うのです。

すぐに前向きになれたわけではありません。
何度も、人と分かり合えないと感じていました。

それでも誰かと繋がりたいという思いが、少しずつ生きづらさを手放すことになったのです。

母を毒親だと思う気持ちが薄れてきた

母は私に理想を押し付けて、結果を出せない私を責め立てていました。
否定的な言葉を、私の存在まで否定しているとずっと感じていました。

だけど、母は私の存在を否定したいわけではなかったのです。
結果を出せない私はダメな存在なんだと自分を否定していたのは、私自身だったのです。

自分を肯定できたとき、誰も私の存在を否定しようとしているわけではないと思うことができました。

母は、自分の理想通りに育つと子供は幸せになれると思って必死でした。
結果的に子供をコントロールしようとしていただけなのだけど、子供が幸せになってほしいと思って育てていたと感じます。

けれど、そのコントロールに子供が支配される必要は無いと思います。

親と距離を置いたり、親に自分の気持ちを分かってほしいと思うことをやめてみるのもいいかもしれません。
親が自分の気持ちを分かってくれないとしても、自分を肯定することは可能だからです。
自分を支えている周りの人を大切にしていくなかで、自分を肯定できると感じます。

私を否定してばかりだと思って、母に受け入れてもらえなかった悲しみが感情を支配していたときは気がつかなかったけれど、母は私を大切に思って必死に育ててくれたのだと今、感じるのです。

直接母と和解できたわけではないのに、母のことを毒親だと思っていた感情も薄れてきました。

自分の気持ちを分かってほしいと人に求めているときは気がつきにくいけれど、自分ができることを人に与えていこうと思えたときに、自分が受け取っていた愛情に気がつくことができるかもしれません。

私は、(母も含めて)人から傷つけられてばかりではなかった。
私に対して優しさや愛情もあったと実感できるのです。

母は私を否定して育てていたわけではなかった。

人と分かり合えないと感じることもあるけれど、分かり合えないと思う相手に批判的になることはやめて、自分ができることを行動していけば、自然に分かり合えるときがくるのかもしれません。

直接分かり合えなくても、相手は相手のままでいいんだと思えたらいいのだと思います。

色々な親子の形がある

仲がいい親子の姿を見ると羨ましくなることもあるけれど、どうして私の場合は、と悲観する感情はほとんど無くなりました。

うまくいかないことはあるけれど、切なくなるときも、落ち込むときも、こんな自分はダメだと自分を否定しなければ、どんな弱さを抱えていても悲観せずに生きていけるような気がします。

親に自分を受け入れてほしいと望むことをやめたら、そこで親子の関係が終わるわけではありません。
色々な親子の形がある、自分は自分でいいんだと思えたら、自然に今の状態を受け入れることができるようになりました。

育てられた環境が大きな影響を与えるのは、身をもって痛感しています。
立ち直った今でも、私は色々な不安定さを抱えています。

だけど、どんな育てられ方をしても、そのことが自分の人生を決めるすべてではない。
自分が自分らしく生きる方法があるはずだと今なら思えます。

たとえもし、親に自分の存在を否定する言葉を投げかけられたとしても、それをそのまま受け止めなくていいと思います。
その言葉が親の本心かどうかは分からないのです。

一人で生きようと思わないこと

自分を支えている周りの人に関心をもつこと。
一人で苦しみを乗り越えようとしないこと。一人で悲しみを抱えないこと。

一人で生きようと思わないこと。

受け取るだけでなく、相手に与えること。
傷を抱えていても誰かの支えになれること。

人と共に生きていく意識をもつことが大切だと感じます。

自分の傷ついた過去をなかったことにできなくても、自分を傷つけた原因が解決しないとしても、立ち直ることができるのだ。

それは人から傷つけられても、それでも人と支え合って生きたいと思い、誰かの支えになりたいと行動できたとき実感できるはずだと私は思っています。