毒親と絶縁も覚悟していた
私は正月も実家には帰りませんでした。
正月どころか365日、帰る実家はありません。
母と分かり合うのはもう無理だと感じて、親と距離を置くことを決めました。
もともと離れて暮らしていて、電話番号は変えて、住所はそのままです。
親のことが少し気にかかっていたけれど、会えば衝突してばかりなので、距離を置いていました。
距離を置くことで、私の精神はかなり落ち着いていました。
生きていて、しんどいと感じることもあるけれど、穏やかな毎日でした。
一時期は、もう二度と親に会わないかもしれないと思っていました。
二度と会いたくないと思っていたような気がします。
絶縁も覚悟していました。
親から離れて、親と分かり合いたいと望むことをやめて、自分自身が築く人間関係の中で、少しずつ毒親育ちから立ち直っていきました。
全く親に会わない期間が3年経ち、自分の気持ちに少し変化が出てきました。
精神的に自立できた時、またいつか会いに行こうという思いが出てきたのです。
親と絶縁するかの結論を出すよりも、自分自身が自立することが先だと感じます。
もう少し精神的に強くなったら、母に何を言われても動じない心になったら、両親に会いに行こうと思いました。
だけど今ではないと思っていました。
毒親の突然の訪問
ある夜、突然インターホンがなって、玄関を覗くと父と母が立っていました。
寒い夜に外に立っている両親を見ると、そのまま追い返すことができませんでした。
私は玄関を開けて、3年ぶりの再会となりました。
母は相変わらずでした。
だけど少し年をとったような感じがしました。
お互い遠慮気味に話をして、次の日に会う約束をしました。
両親が帰った後、モヤモヤしました。
いつか会いに行こうと思っていたけれど、今はまだ会いたくなかった。
これでよかったんだと思い込もうとしたけれど、すっきりはしませんでした。
しょうがない、しょうがない、と言い聞かせていました。
その日はモヤモヤしていたけれど、次の日会って父の笑顔を見たとき、これでよかったのかもしれないと思いました。
父は今思い返してみたら、優しくて公平な人でした。
母にとって父は、よい夫のようには見えなかったし、夫婦喧嘩は日常茶飯事でした。
けれど、娘の私にとっては優しい父でした。
父はずっと公平に子供を育てていたのだけど、私が子供の頃は父にも私は可愛がられていないと感じていました。
休みの日には遊びに連れて行ってくれていたのに、宿題を手伝ってくれたこともあったのに、大切にされていると思えませんでした。
私は家族のお荷物でしかないという思いが、色々な歪みを引き起こしていました。
自分が自分を大切にできていなかった、それでも私を大切にしてくれた人がいたと、今は気がつくことができます。